働きながら学ぶこと

梅雨入りしたのに、爽やかでよい天気が続いていますね。遊ぶにはうれしいですが、水不足にならないように、この季節は、しっかりと雨が降って欲しいですね。


ところで、きょうは「働きながら学ぶこと」について、常々感じていることのひとつを書いてみます。


いま大学院で勉強していることは積極的に周りに言ってません。なぜなら、会社の場合は、出る杭は打たれるではないですが、なにか仕事以外のことをチャレンジしているひとに対して、少なからずやっかんだり、邪魔をするひとがいるためです。


それでも仲のよい友人や親戚縁者に、「大学院で勉強しているんだよ」という話をすることがあります。そうするとたいてい、「すごいね」「えらいね」「がんばってるね」というお褒めの言葉と、「働いてて、家庭があって、よく勉強する時間があるね」、「わたしには、とても勉強する時間がないよ」という風に、自分には無理だと結ばれてしまいます。


それに対して、とやかく言ったりしませんが、正直なわたしの疑問は、「ほんとうに、1日に、30分でも時間をとれないのだろうか?」ということです。会社で同僚と雑談や愚痴を言ったり、家でだらーっとテレビを流し観たり、携帯電話でゲームしたり、あるいは、パチンコしたりする時間(もちろん、こういったリラックスする時間も必要ですが)を見直せば、よほどのひとでもない限り、なんとでもなると思うのです。けっきょくは、時間の問題ではなく、勉強に対する意欲と、優先度の問題なのでしょう。


実は、先ほどの友人や親戚縁者の話の中で、「会社いってて、家庭があって、よく勉強する時間があるね」というのは、ちょっとした皮肉が含まれている場合もあります。裏返すと、「仕事をしっかりやれてるの?」「おれなんて、こんなに会社に忠誠を誓って、ボロボロになるまで働いているのに、おまえは」、「わたしは、家庭で一生懸命で、肉体的、精神的に疲れて、そんなゆとりがないの」と話していて、感じ取れることもあります。これに関しては、勉強うんぬんではなく、もっと人生をよりよく生きるためにも「人生観を一度見直した方がよいのでは」と、率直に思います。


けっきょくは、勉強が必要で、自分がやりたいと思えば、やれるはずです。少なくとも、このブログを見ているひとは「資格や勉強に興味があるひと」だと思います。もし、興味があるのに始められない・続けられないならば、まずは、やれない理由など探さずに、無駄な時間を見直し、1日5分でも、10分でもそのための時間を準備してみることをおすすめします。


勉強だけが人生じゃない?、その通り。だからといって、まったく勉強しなくともよい理由にはなりませんよね?

50歳からの「社会人大学院生活のすすめ」

50歳からの「社会人大学院生活のすすめ」

  • 作者:須藤 英彦
  • 中高年サラリーマンのセカンドステージを応援する会
Amazon