高専への道のり

それでは、わたしの自己紹介を兼ねて、高専へ入学するまでの道のりを簡単に紹介します。自分でも、思い出しながら、振り返りたい気持ちになりました。


わたしは、某地方都市で生まれ育ちました。父は、建設業で、得意でもないのに後輩が買ったマイコンポケコンを突然購入したりすることがありました。


そんな感じで、わたしが小学高学年の時に、当時タモリが宣伝していた富士通の8ビットパソコンFM-7が家にやってきました。その頃は、フロッピーディスクが高額で手が出せず、テープレコーダをデータの保存に使っていました。お小遣いは、確か1500円ぐらいだったので、市販のゲームはそうそう買えず、電波新聞社のベーシックマガジンや森巧尚のゲームコレクションなどのプログラムリストを入力したり、自分でゲームをつくったりして、楽しんでいました。たぶん、このFM-7との出逢いにより、わたしの進む道が決まったのでしょう。


中学生になると、部活が忙しかったにも関わらず、友だちの影響でラジオに興味を持ち、アンテナを自作して、夜通し遠距離受信に励んだりしました。ものをつくるのが大好きでした。確か、中2の3学期になって、進路指導などが始まったと思います。勉強は比較的好きなほうだったので、田舎の学校で規模は小さいですが、同学年で上位のほうでした。ちょっぴり自慢すると、全国模試でも、数学と理科のみはランキング上位として掲載されることがありました。ただ、社会だけは年表を覚えるのが大の苦手で、総合得点の足を引っ張っていたのがトラウマです。


わたしの地域では、首都圏とは違って、一般的に公立高校のほうが私立よりも偏差値が高く、みんな競って公立高校を目指します。特に成績のよい者は、その頂点にあるナンバースクールを受験します。私立は、すべり止めといった感じでした。わたしは、がんばってナンバースクールを目指すか、レベルは少し落ちるが、好きなことができそうな工業高校に入るか悩みました。中3になっても、相変わらず社会は苦手で、その点でナンバースクールに入れる自信はありませんでした。


願書を出す締め切りの1ヶ月前ぐらいに、母親から、近所に住む中学の先輩が「コーセン」というのに通っていると聞きました。実は、その時初めて高専の存在を知ったのでした。後日、その先輩から高専の話を聞くことになるのですが、自宅に伺ってみると、屋根にはアマチュア無線のアンテナが高々と上がっていて、話の内容はよく覚えてませんが、なんだかすごいなと感じたのを思い出します。ただひとつ今でも覚えているのは、「高専の入試は4教科で、社会がないんだよ」という衝撃の言葉でした。パズルのピースが埋まりました。


その他いろいろなひとの情報から、いいところ取りして、高専を第1志望に決めました。その時の思考は以下でした。

・入試に社会がない ←←これが一番大きい
・偏差値はナンバースクールと同等だが、社会がなければ射程圏?
・工業高校よりも、高度で、面白いことができそう
・就職率100%(求人倍率 10倍?) ←ほとんど気にしてない
・大学を出なくても、大企業に就職できる ←ほとんど気にしてない


急遽、5年分がまとまった高専の入試問題集を買って、勉強を開始しました。開けてみると、数学は初めて見る問題も多く、かなり難しく感じた記憶があります(結構、高専の入試問題はハードなんですよ)。それでも、こたつに入って、みかんを食べながら、けっこう楽しんで勉強できていたような気がします。


高専の入試は、推薦入試が先におこなわれて、その後に一般入試です。わたしは一般入試を受験しました。なんだか他の受験生がすごく頭良さそうに見えたのを覚えています。


終わってみると、得意の数学の結果に自信がなく、ブルーになっていました。それならば、高校受験のために、社会を勉強しなくてはならないのに、もう勉強がまったく手につかなかない。いまで言う無気力症候群みたいな状態だったのでしょう。そんな感じで、合格発表当日は、会場に確認しに行くこともなく、放課後も中学校で友だちと、惰性で勉強していました。そうしたら、担任の先生が駆け足で教室に入ってきて、「おい、○○、高専合格してるみたいだぞ」と言う。ほんと信じられなかった。これはわたしの人生で予想外の最良の出来事のひとつです。


後日、公立高校の入試と同じ日に筆記合格者の面接があり、4人の教官から質問を受けて、入学に至りました。その面接では、勉強のことや部活のこと、それから趣味のマイコンやラジオのことなどを聞かれたと思います。


これがわたしの高専への道のりになります。道のりというか、まんま日記ですね(^^;